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知的障害者入所施設(生活介護・施設入所支援)に勤務する
もっちゃんさん
今回のお相手は、もっちゃん さん(仮名)です。初めての、介護保険ではない領域にお勤めの方からのお話です。
※インタビューに応じてくださった方に関する個人情報保護の観点から、お名前は仮名とし、職場に関する役職名その他委員会等の名称を実際の名称から一般的な名称に変更しています。具体的なエピソードについても、趣旨を損なわない範囲で編集をしています。
―本日はよろしくお願い致します。それではまず、現在お勤めしている職場の種類を教えてください。
知的障害者入所施設に、生活支援員として勤めています。
―何人くらいの方々が暮らしていらっしゃるのでしょうか?
男女合わせて50人ですね。
―50人の方々をどれくらいの人で支えていますか?
早出、日勤、遅出、夜勤の4つのシフトを、常勤・パート交えて日々10~14人出勤して支えています。
ちなみに夜勤は二人です。
―例えば日勤でしたら、どんなお仕事の流れになるのでしょうか?
はい。8時半から夕方5時半までが勤務時間で、まず最初に利用者さんの整容ですね。私は、男性利用者のグループなので、歯磨き髭剃り、顔を拭いて、というところのお手伝いですね。
そして、高齢者と大きく違うのが、「日中活動」というのがあります。年齢で言えば20代から60代までの方々がいて、レベルの違いも各々あるのですが、それぞれできることをやっていく、まあ、高齢者で言うと、レクリエーションに近い部分もあると思うんですけど。少しでも社会性を保てるような活動をしてます。例えば、ウチは陶芸が昔から盛んで。障害者の陶芸作品って、全国的にもけっこうポピュラーかなと思うんですが。
―そうですね、良くお見かけしますね。
そういったものを作って展示したり、販売をさせてもらったりして、収益を利用者さんの工賃にまわして、お金を稼ぐってどういうことなのかを体験してもらいます。それで好きなもの買ったりして、稼ぐ喜びも感じてもらったり。健常者にっとっては普通のことがなかなかできない状況があるのですが、その中でも社会性を勉強して感じてもらう、という活動を平日はやってもらってますね。
そしてお昼を食べてから、午後も同じく「活動」をします。
今取り組んでいるのが、農作業ですね。畑で採れたものを施設の食材で使ったりしています。まだできていないんですけど地域の方への販売もできればいいなと思っています。
あとは、いろいろと面白いことをやっていきたくて、今ピザ窯を作ろうとしてまして。みんなで積み上げて、絵を描いたり何かを張り付けたりしながら独創性のあるピザ窯を作って、みんなで焼いて食べて。できればそのピザも販売できたらいいなと。畑で作ってる食材も載せて。
―いいですね!
入所施設なので、やっぱり重度の方が多くてなかなか難しいんです。こちらがしっかり考えないと、じゃあ折り紙作って終わりみたいなことになってしまって。それじゃつまらないし、我々も専門職として環境を整えなければならないのではということで。色々今、熱く取り組んでいます。
―できることは限られているけれども、できることを積み重ねていったうえで、出来上がったものが誰かに喜ばれるもののほうがいい、という考え方でしょうか。
そうですね。午後はそういった活動をして、15時におやつを食べて、夕方は自由時間です。夕飯までは自由。夕飯が17時半なので、それまでに準備をしたりして、日勤は終わりです。
―お食事やおやつの準備なんかも、入所者さんと一緒になさいますか?
なかなか厳しいですね。できる方は二人くらい。50名のうち。お盆を並べたり、お箸を利用者さんごとに覚えて並べてくれたり。それくらいですね。
―サービスの対象者は知的障害のある方ということですが、特別養護老人ホームにもお勤め経験がおありなんですよね。今の職場では、身体的な介助、トイレであるとか食事とかというのは、お仕事の中で随時入ってきますか?
そうですね。うちの施設に限らず業界全体の課題だと思うのですが、利用者さんの高齢化っていうのがあるんですね。やっぱりその中でどうしても歩行が難しくて車いすになっている方とか、食事の自力摂取が難しくて介助が必要になっている方、排泄でおむつが必要な方っていうのは、出てきていて。十数名ですかね。高齢者の施設のような介助というのはこれからも増えていくと思いますね。ただ特養から比べれば、まだまだ職員の負担というのは少ないかなと思います。
―例えばトイレの対応に追われて、ただただそれだけで終わってしまうようなことはないということですね。
そうですね。その分「活動」に割いて。将来はたぶん高齢者施設と同じような介助量になっていくのではとも思います。
―事前のお話で、コロナの状況で久しぶりに外出外泊をできるようになったとか。いろいろ大変だったと思うのですが、利用者さんもストレスが溜まっていましたか?
そうですね。施設の場所が田舎のほうなので、それほど直接的にコロナの脅威がそんなにあるわけではないんですが、やっぱり入所施設ということで。入所施設でクラスター発生したニュースもありましたし。壊滅的になってしまうのでそこは気を付けていましたね。なので職員もそうですけど、ご家族さんの面会もすべて制限をして。利用者さんのなかで、若い方、親御さんも元気な方っていうのはいつもお盆と正月とゴールデンウィークは、可能な人は里帰りをするんですね。ちょうどこのコロナでゴールデンウィークが制限されたので、いつもと違って帰れないっていうので混乱しちゃう方がちらほら。コロナって言っても理解できなくて。テレビでさんざんやっているし、見ている方もたくさんいるけど、じゃあなんなの?と。それでも帰りたい。ストレスはたまるし、もともと多少はあった知的障害に伴う行動障害がより顕著に表れる方というのはいましたね。その対応が大変でした。オンライン面会をやって、家族さんの顔を見て安心してもらったりとか、なるべくできることはやっていこうとしてたんですけど、ようやく7月からは外にも出られるしお泊りもできるということで、通常に戻りつつあるのかなと思いますけどね。
―まだまだ緊張感は続くと思うんですが、とりあえずそこの道が開けてよかったですね。
そうですね。本来8月のお盆が次のタイミングなんですけど、8月もどうなるかわからないので、7月の4連休を利用して帰れる人は帰ってもらおうとしています。
―第2波が来る前に。
ええ。ご家族が受け入れられるならばやりましょうと。
―障害の特性にもよるかと思いますが、先行きの不透明さに耐えるのがすごく苦手な方も多いんじゃないかと想像するんですけれども。
そうですね。知的障害の方はそういった特性をお持ちの方は多いですね。
―そういった厳しい状況の中で、利用者さん含め、お疲れ様です。
―高齢者施設と違って、面会に来られるのは、親御さんですね?
はい。
―高齢化というお話もありましたが。年齢が上の方ですと、面会に来られる方も減ってきてしまうのでしょうか?
はい、おっしゃる通りで。利用者さんの平均が48歳くらいなんですけど、おおよそ親御さんというと70~80になってきます。一部まだ40~50代の親御さんもいらっしゃいますけど。そもそも面会に来るのが限界という方も多いです。ここ数年で介護認定受けましたとか、今までは里帰りを受け入れてくれてたのがちょっともう厳しいかなとか。これ本当に全国的に大きな問題で、8050(ハチマルゴーマル)問題という言葉をお聞きになったことがあるかもしれませんが。障害をお持ちの方が今50代、親御さんは80代っていうのがけっこう多くなってきていて。本当はものすごい社会問題なんだけれど、国のほうも特に手を打てず、これからもっと8050から9060までいってしまう。入所施設に入っている方ならまだいいんだけれども、今は在宅サービスを受けて家で過ごしている方もたくさんいて。親御さんがいれば、親の年金と、自分の障害年金と、親の支援によって生活をしていたのだけれど、親の高齢化で生活が破綻してきている方が多いんです。ちょっと話がずれてしまいましたが、そこは大きな問題です。
―高齢者介護か、知的障害者の支援か、といった切り取り方ではなくて、複合的なことは当然ありますよね。お話ありがとうございます。
―それでは、話題を替えまして、もっちゃん さんのこれまでについて、お伺いをしたいと思います。まずは、介護、福祉の世界に携わったきっかけはなんでしょうか?
もともと普通のサラリーマンをしておりまして、そこで、疲れ切ってしまって…その時に家族を含め周りの人に助けられたんですね。そこから「人の役に立つことをしたいな」「人を支える仕事はないかな」と考えてこの世界に入りました。
最初は特別養護老人ホームに就職しました。6年ほど現場をやって、ケアマネの資格を取って、居宅介護支援事業所に移り、4年。その後、新しい特養の立ち上げ時に施設ケアマネ兼生活相談員としてかかわりました。
そこから、この時代サービスが良くなければ淘汰される時代だと思って、いろいろ勉強をするために、他の地方の法人に伝手をたどっていくつか移りました。法人の立て直しであるとか、施設の立ち上げにかかわらせてもらったり。
―そこから現在のお勤め先に至るきっかけはなんだったのでしょうか?
ある程度高齢者福祉というのは、現場から運営までやらせてもらったと感じていて。タイミングよく地元に今の法人を見つけて、高齢分野にはない魅力を感じたので、今後のためにも勉強したいと思って飛び込みました。高齢福祉を何年もやっていらっしゃるベテランの方はたくさんいると思うんですけど、いろんな分野を知っておくのもいいなと。それから、高齢者介護の分野よりも、お一人の人生にかかわる時間が長いことが多いということがあって。長い人生、障害があっても施設だけじゃなくて、地域でどうやって生きていくかということを考える、というところに魅力を感じました。
―それまでのもっちゃん さんの人生の中で障害者福祉の世界、それも知的障害者支援というものに触れる機会はありましたか?
まったくなかったですね。
―では、これからどうやって働いていこうかなと考える中で、地元の法人を見つけて、興味をもったという具合ですか?
そうですね。あとは私も子供がおりまして。近所に知的障害があるような子がいて、親御さんが悩んでいたのを見ていたというのはきっかけの一つとしてありますね。いじめであるとか偏見の目で見られるであるとか、というようなお話を聞いて、「それはなんとかしなければ」と勝手に思ってしまったというか(笑)そういうことも影響していますね。
―先ほど、高齢者福祉と知的障害者福祉の違いについて、関わる期間の長さの側面からお話をいただきましたが、今度はもう少し、日々の生活に視点を移して、何か違いを感じることはありますか?もちろん、一緒だ、ということでも興味深いと思うのですが。
そうですね…違い…高齢の方というのは、ほとんどの方が社会で生活してこられていて、施設に入ったり、デイサービスを利用したり、ヘルパーさんを利用したり担っていく。だけど、障害の方っていうのは子供のころから何十年も施設で生活している方とか、親御さんに捨てられてしまった方、ひどい虐待を受けていた方…順風満帆で生きてこられた方というのがほとんどいらっしゃらない…もちろん愛情を一身に受けて今までの人生大きくご苦労していない、という方もいらっしゃいますけど、ほとんどの方が普通では味わえないような人生を送られてきたように思いますね。その部分で、そういった方々が集団生活をしているということは、高齢者施設とは大きく違いますね。波瀾万丈です。大きな声で叫んだり、手の出るケンカは日常茶飯事で…重度の認知症の方でもあるとは思うんですけど、すべての事柄がものすごく顕著に現れている気がしますね。
ただ、高齢者の施設で働いていたときも、今振り替えれば、何らかの障害をお持ちだったんだろうなと思い当たる方はいて。認知症によるBPSDと、知的障害の行動障害で共通する部分も多いんですよね。もちろん、軽度の方、重度の方で一人一人違うんですけど、これまでに出来上がってきた社会性とか対人関係の持ち方が違うので、そういったことを踏まえると、穏やかに生活してもらいたいけど、我々ではそれができない限界、みたいなものを感じることがありますね。
―難しいところですね…もっちゃん さんは今、生活支援員として働いていらっしゃいますが、これまでのご経験と比較して、一緒に働く同僚の方々について、違いを感じることはありますか?例えば高齢者施設ですとかなりシステマチックに誰が何をするかの役割分担がカッチリ決められて走り回ることが多いのかなと思うんですが。
ああ、そこは大きく違いを感じますね。最初に、日勤であればこういう日課、という風にお話はさせてもらったんですけど、ものすごく余裕はありますね。走り回ってとか、何時までに何人のおむつ介助を、っていうのが基本的にないので。職員も余裕を持って行動できますし、利用者さんともしっかりコミュニケーションとれますし。やっぱり、毎日ケンカとか問題は起きるんですね。そのためにも余裕のある状態でないと。なので働き方でいうと時間的な余裕は大きく違います。じゃあ何も問題がなく一日過ごせる状態で気になるのが、障害分野でだけ働いてきた人が身体介助の能力が低いことなんです。、私は高齢分野を知っているので、これからお役に立てるかなと思っているんですけど。語弊があるかもしれないんですが、レベルが低いですね、介助の専門職としては。多少思いやりがあって、普通に人様を大事にできる人であれば勤まってしまうかなあ。技術的に覚えなきゃいけないこととかは、それほどないんですよね。
―身体介助に触れる場面が少ないと、自ずとそうなってしまって、でも施設としては先程のお話にあったように高齢化で身体介助のニーズは高まっていくと。
そうですね。今、だから大分私も活躍できている段階ですね(笑)
―落ち着いている日にそういう部分を共有したりするのでしょうか?
去年から、高齢介護技術ということで、月に一度研修を開いて、勉強したり、知り合いの施設に見学・実習に出てもらったりして高齢者の施設ではどうなんだろうっていうのを味わってもらう活動をしていますね。
―お時間が迫って参りまして、最後にもう少しだけお伺いしてもいいでしょうか?
はい。
―これから高齢方の介護技術を職場の方々と研鑽していかれて、備えをしつつではあると思うのですが、今後やってみたいことなどお考えのことがあれば、教えていただけますか?
やってみたいこと、というか、先程の8050問題ですね…施設に入れる人はまだ良いんですけど。高齢の方でも、施設に入れなくて在宅でギリギリ生活をしている方も多いと思いますが、障害の分野では「地域共生社会」がスローガンみたいなところがあって、障害のある方でも地域で偏見を持たれることなくできることをしながら…差別のない地域を作っていきましょう…とは言うんですけど、全然できていないんですよね。差別のない社会って、正直、実現は難しいと思うんですよ。大きすぎる課題で。でもこの仕事をしているからには、施設の現場が回っていればそれでいいやではなくて、せめてこの施設のある地域は、福祉が充実した優しい町だよねって思ってもらえるようなまちづくりまでできたらいいなと思うんです。そのための企画を今法人で提案しているんですけど。そもそも障害のある方と関わることがないんですよね。だから知らないし、怖いし。大声で叫んでいたり、独り言で笑っていたり。知らなければ怖いじゃないですか。障害というものを少しでも知ってもらう活動をすすめています。やりたいことは大きいんですけど、まずは地元からと思って。
―これからが楽しみなお話が聞けてよかったです。
知れば難しくなくなるところはあるんですよね。
そこが解決できたら言いなと思います。
―本当に楽しみです。ありがとうございました。
今回のインタビューはここまでです。不勉強な私に、言葉をかみ砕いて、ゆっくりとお話しくださいました。目の前の利用者さんのために奔走するだけでなく、その目線の先にある社会についても考えながらお仕事をされているのが印象的でした。ご協力ありがとうございました。