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介護老人保健施設に長らくお勤めだったヤマダさん(仮名)

今回は、長い間介護老人保健施設で働いていたヤマダさん(仮名)です。取材時点では介護のお仕事から離れていましたが、快く当時のことなどをお話くださいました。
※インタビューに応じてくださった方に関する個人情報保護の観点から、お名前は仮名とし、職場に関する役職名その他委員会等の名称を実際の名称から一般的な名称に変更しています。具体的なエピソードについても、趣旨を損なわない範囲で編集をしています。

◆とても長い間、仕事をされていたんですね。

そうですね。通算で17年、そのなかの16年が老健です。

◆16年も。今日は老健でのお話を思い出しながらお聞かせください。まず、お勤めだった老健の規模は?

だいたい、50から60人です。建物としては1階にデイケアがあって、2階が入所とショートでした。

◆はじめての介護のお仕事が老健だったのですか?

はじめてのところは、専門学校を出てグループホームに勤めましたが、体調を崩してしまって老健に転職しました。

◆そうだったのですね。では、あまり介護の経験が長くないなかで、医療依存度の高い人が多い老健に。

昔は看護師しかしてはいけないような仕事も介護職員がしたりして。

◆それは…いきなりそのような職場に入って、大変だったと思うのですが、丁寧に指導を受けたりする時間はあったのでしょうか?

全然持てなかったですね。介護の経験もないし、看護師でもないのになんで看護師の仕事をしなきゃいけないんだって思いながら働いていました。

◆最初のうちは誰か先輩に付いてしばらく働くようなかたちでしたか?

はい。

◆思い出せる範囲でけっこうなのですが、シフトはどれくらいの種類がありましたか?

早出、遅出、日勤、夜勤、夜勤明けが主なシフトでした。夜勤明けの翌日に夜勤入り、というのが当たり前のようにありました。

◆夜勤は夕方から入るような夜勤でしたか?

夕方の5時なんですけど、ちょっと早めに4時くらいから行く人もいましたね。次の日は、遅いと12時くらいまで。人が足りないときは夜勤が日勤をしたりとかもありました。夜勤明けの人が風呂を手伝ったりとかも。とにかく夜勤が一番しんどかったです。最高で月に10回くらいしてました。夜勤から日勤も、月に1回くらいありました。じゃあ給料がいいかというと、それほどでもなくて。夜勤手当てがそんなによくなかったんですよ。1回5000円くらい。夜勤は全体に対して二人なので、相方が休憩中は一人で50人60人を見ることになります。看護師が少なくて介護職員同士の夜勤もけっこう多くて。医療行為に近いこともたくさんしていました…。

◆夜勤を除いて、総勢で何人くらい出勤されるのでしょうか?

日曜祭日はばらつきがあったんですが、平日はだいたい超早が一人、早出が一人か二人、日勤がリーダーで一人、遅出が二人。夜勤が介護職員一人、看護師一人です。以前は看護師が不足して夜勤には入れず、介護職員二人で夜勤をしている時期が長かったです。昼間はそこに、パートの人が日勤帯に入ったり、午前で帰ったり、お風呂だけに入ったりでした。その他にEPAの人が入ったりして。

◆リハ職は何人いらっしゃいましたか?

PT,OT,STがいて、合計で4,5人はいました。

◆一人立ちするまで、どれくらい時間がかかりましたか?

やっぱり慣れてる人はどこ行っても通用するのですぐ来て一ヶ月以内に夜勤入ったりとかしてましたね。すぐ戦力になるので。僕はけっこう遅くて、夜勤するまでに半年から1年くらいかかってしまいました。専門学校を出たあとで経験も知識も少なくて、やっぱり先輩の足を引っ張ってしまって…

◆そうでしたか。そこをなんとかめげずに続けていらしたんですね。
 もう少し仕事の様子をお聞きしていきますね。覚えている範囲で結構なのですが、例えば早出をしたときにどんなお仕事の流れでしたか?

早出はまず利用者の起床介助から始まるんですけど、少し早めに出勤して申し送りノートを見たり、夜勤者から体調不良の人がいないかなど聞いたりして、誰から起こすかを考えていましたね。

◆たとえば5,60人寝てらっしゃるとすると、早出と夜勤明けの人たち何人ぐらいで、どれくらいの時間をかけて起こしますか?

日によって早出の人数も違いますし、シフトに入った人の組み合わせにもよるんですけど…たとえば僕が夜勤だったら、早出が来てもなるべく負担がないように、なるべくこちらで起床の介助をしておこうとしていました。もちろん利用者様にも負担のない範囲で、ですけど。急変や、起きた人の見守りもあるので、むしろ早出の人にはフロアの見守りとか、口腔ケアとか髪の毛をといたりとかそういうほうをしてもらってましたね。そのほうがコール対応もしやすいし。起床介助は基本的には早出のする仕事なんですけど、僕が夜勤の時はけっこう僕がやっていましたね。

◆早出の人は何人いらっしゃったのでしょう?

最悪で人がいなかったら1人とか2人なんですよ。

◆厳しいですね!

夜勤が利用者を起こしている間に他の利用者が転倒、とかもありますし、見守りしきれずに事故があったり。そこはもう臨機応変に手早くやるしかなかったというか。早出が5時からだったんですけど、5時から起こしはじめても間に合わないことも多かったです。7時までに起きてもらわないと朝ごはんが厨房から来ちゃうんですけど、でも間に合わなくて。

◆すごいですね。そこでシフトを見ながら、今日はこの人が夜勤だから早めにいくか、みたいなことを考えて…

そうですね、スタッフの顔色見ながら、夜勤の人の顔色見ながら僕は動いてました。起こし終わったらあとやることは食事介助の準備とか、そういう一日の流れの準備を日勤が来るまでして…

◆日勤の人が、それから9時に来る?

8時くらいに来ますね。それまでに早出の人は早出の仕事があるので、それをしながら。

◆早出の人がお風呂ですか?

そうですね。お風呂をする人と、日勤の手伝いをする人といるんですよ。早出が絶対風呂ではないんですよね。日勤が来なかったら日勤の仕事を早出がカバーしないといけなくなるし、その日のスタッフの状況によって早出がしないといけないこと変わってくるんで。朝入退所の対応も、日勤がいなかったら代りにやったりとか、早出の仕事はバラバラでした。日勤の人数次第でしたね。

◆日勤の人数が日々のなかではよく変わっていましたか?

そうですね。日勤はパートの人が多くて、子供が熱を出して休みますとなったら勤務交代もしますけど、人がいなければ夜勤明けの人間が対応して昼まで食事介助したりとか、お風呂手伝ったりとか。入退所の手伝いしたりも。残業手当つかずにやってました…。もちろん夜間に急変があったら受診とか全部対応してましたし。そこまでいくとどうしても昼過ぎまでかかってしまいます。

◆そのような人手の足らない中ですが、利用者さんの入れ替わりも多くあると思います。新規の方の情報などはどのように共有されていましたか?

情報提供は職場の掲示板に貼ってあって、目を通してくださいというかたちだったんですけど、目を通してもそれだけでは分からないことも多かったです。全部目を通すにも時間がかかりますし。それでも僕は全部見たうえで、それでも分からない部分は手探りでしたね。

◆なかなかでも覚えきれないですよね?

そこはもう、若さで(笑)あとは、経験を積んでいくと「あこんな感じの人、前にもいたな」っていうデータが自分の中にあって。そういうのである程度は対応できていましたね。

◆老健16年で、後半はかなりヤマダさんの頭のなかにもいろんなデータベースが蓄積されてきて。

はい。

◆最初のころは蓄積もないなかで、かなり大変だったかと思います。楽になってきたなという感覚はどこかのタイミングでありましたか?

そうですね、何事もやっぱり10年っていう区切りがありまして。5年10年経って、そのあたりから、自信もついてきたし、得意なこと、苦手なことも分かってきました。それで自分の得意なことを伸ばして。介護は全般的な仕事だと思うので苦手なこともやらなきゃいけないですけど。自信があるのは介護のなかでも、離床臥床の介助ですね。寝かしたり起こしたりする介助。多分職場に僕以上の人はいなかったんじゃないかっていうくらい、自信あります。家族さんの目に留まって褒められたこともありました。下手したら何千回何万回ってやってきたので、体に染みついてるような感じです。この人にはこういうやりかたでやったら安全だなとか、こういうやり方だったら腰に負担かからないなとか。もちろんそれは指導をされたのもありますけど、自分で体験してみないと分からないものです。やり方っていうのは人それぞれ違うので。

◆そうですね。自分の体をどう扱うかということですし。

染みつくくらいやっておかないと、危ないんですよ。怪我をさせてしまったら手が滑ったでは済まないので。足元から髪の毛まで全身を観察したうえで移乗をするんです。力を加減しながら。それから、最後の靴を履かすまでとか、靴をそろえて寝かすとか、そういうマナーの部分も大切にしています。結構みんな雑なんですよね。

◆そのあたりの理想のようなものは、どなたか先輩とか目標とする人がいたのでしょうか。

いや、自分で身につけました。みんながしてるからやるんじゃなくて自分で見つけるんですよ。どうやったら利用者さんに負担がないようにできるかなっていうのを考えてやればできるんです。それができないのはただ単に作業として寝かす起こすだけ、おむつ交換するだけの人。寝かして起こしておしめ交換して風呂行っておしまいじゃないので。一個一個を追求するんですよ。なので、離床臥床に関しては僕以上の人は職場で見たことないです。看護師に離床のプロだなんて言われたこともあります(笑)そこは頼られる部分も多かったですし、17年の中で負けたくないところでもあるし、自信があると強く言いたいところですね。何か一つ介護の中で自分のこだわりを持ってすれば、よりよい介護につながるんじゃないかな。自分に自信のあるものを言えるようになってこそプロだと思います。

◆そういったヤマダさんが培ったものを人に教える機会はありましたか?それとも忙しくてなかなか教えることができなかったですか?

なかなかないんですよね。例えばインドネシアからEPAの人が来てましたけど、指導担当者は決められていて、他の人が勝手に間違ったことを教えないようになっていたり。

◆教えてみたい気持ちはありましたか?

それはもう。誰も僕の介助を見てダメっていうことはないので。通用すると思うんですよ。基本的には。

◆介護の仕事をしていて、もちろん得意なこと、上手くいくことばかりではないと思います。大変だったことや辛かったことで何か思い出すことはありますか?

夜勤でのことなんですけど、夜中に「喉が渇いたから起こしてほしい」ってナースコールで言われて、看護師に確認して起きてもらったんですよ。バイタルチェックもして、詰め所で一緒にお茶を飲んだんです。しばらくして大丈夫だろうと思って寝てもらったら、そのまま急変して亡くなってしまって…
看護師とも確認をして、バイタルチェックもしたうえでの判断でしたが、起きてもらったこと、お茶を飲んでもらったことがきっかけになったんじゃないかと…

◆もともと最期が近い方ではあったのでしょうか?

まあ、けっこうなお歳で、その時期は体調もあまりよくはなかったんですけど…

◆お聞きする限りでは何も落ち度はなかったかと思うのですが、それでもそういう場面に直面すると恐かったり落ち込んでしまったり…

そうですね。あれでよかったんだろうかと思ってしまいますね。

もう一つ、夜勤中に、普段一人でトイレに行く人がいたんですけど、その夜も一人でトイレに行く様子を、他のナースコール対応に向かいながら横目に見て「大丈夫だろう」と思っていたんですけど…転倒してしまって。それも骨折までして…ナースコールもあったし、普段は付き添うことにはなっていなかったんですけど、目の前でそういうことが起きると、もっと付き添ったり見守りをしたりしたほうがよかったんじゃないかと…少し足元がフラフラしていたようにも思いますし…

◆ちょっぴり心配もありながら、普段自立してるし…という一瞬の迷いもあったのですね。かと言ってナースコールも放っておくわけにもいかないものですよね。

判断ミスではなかったと思いますが、目の前にして防げなかったのはやっぱり悔しかったですね。

◆その場その場でどちらの対応を優先するかの判断は、経験を積む中でだんだんと上手になってくると思うのですが、それでも難しいですよね。

そうですね、僕に限らず他の人に聞いても似たような経験はあるみたいで。やっぱり優先順位を考えて行動しなければいけないですね。例えばナースコールが二つ同時になったときにどちらから行くのかとか。

◆優先順位の付け方は、誰かと情報共有したりとか、誰かに教えてもらったりしたか?

いや、ないですね。そういうのは。

◆そうですよね、なかなか。

それはもう自分で判断をしていくしかないと思います。

◆では続いて、苦手なことをお聞きしたいと思います。事前のメールのやりとりで食事介助が苦手だと書いてくださっていましたが…どんなところが苦手ですか?

新規の人で嚥下の良くない人は特に難しいです。同じ人の食事介助で回数を重ねないとどうしてもつかみきれない部分があって。タイミングだったり。食事介助の技術そのものは学校とかで習ったりしましたけど、教科書通りにはいかないですね。利用者さんと介助者の信頼関係もあるし。男性が嫌な人も女性が嫌な人もいるし、補助具使ったりそういう配慮も分からない。意思疎通ができるかどうかとか、全部見ないといけない。事前の情報提供だけじゃわからない部分もあるので。そういうのがやっぱり難しいと感じますね。その人の介助に慣れていったらもちろんできるんですけど。

◆長いご経験を経て、いろんな利用者さんを見てきてなお、新規の利用者さんの食事介助が一番怖かったですか?

そうですね。

◆逆に新規の方の移乗介助、排泄介助、入浴介助などはあまり苦手意識はなかったですか?

全然ないですね。そこはむしろ自信がありましたね。そっちのほうが、経験している数が違うので。例えば食事介助が1,2としたら移乗介助は100くらい数をこなしているので。その経験値の差はありますね。食事介助の上手な人もいて、教えてもらったこともあるんですけど、やっぱりどうしてもうまくできていないと感じて、苦手意識がありました。

◆入浴介助はいかがでしたか?

はい。よくやってました。機械浴をよく任されてました。衣服の着脱をする人は別にいて、僕は中で介助をするような感じです。

100キロを越えるような体格の人がいたり、お風呂が嫌いで暴れる人がいたりと大変でしたけど、一番怖いなと思ったのは、入れ墨のあるその筋の人の介助で…なかなか貴重な体験だったと思います(笑)

◆レクリエーションはなにかやっていましたか?事前に人見知りだとおっしゃっていましたが、苦手意識は…?

レクリエーションはまあ、得意ではなかったですけど、食事介助に比べたらまだ(笑)行事の委員会で委員長もしていましたし…。

◆毎日のなかにレクリエーションの時間があったのでしょうか?

ありましたね。

◆あとは不定期というか、季節のなかで行事があって。

誕生日会と、ボランティアを呼んでのイベントがそれぞれ月一回ずつありました。

◆毎月ボランティアを呼んでいたのですか!例えば、レクリエーションの内容を考えたり、レクリエーションそのものを取り仕切ったりというのもやっていましたか?

はい。もちろん。前日のレクと重ならないように気を付けていましたね。風船バレーだったり、玉入れ、カラオケ、手足の体操、頭の体操…

◆人前でレクの進行役をしたりするこもありましたか?

しましたよ。マイクを持って。行事の時はボランティアさんを紹介したり。幼稚園、保育園の子供たちが来ることもありましたね。ハーモニカを吹いてくれる人や、マジックをやってくれる人、琴、踊りの先生とか、いろいろなボランティアの人を呼びました。年間で「今月はこの人」と決めてやっていましたね。毎年のことなので、決まっている部分もありましたが、もしもの時に備えて第二候補まではボランティア候補を挙げておいて、年間スケジュールを立てて予約をしておくんですよ。終わったらお礼状を書いて。来てもらったら盛り上げるのはこちらで頑張って。

◆前後の準備もやっていらっしゃったんですね。

そうです。事前に電話で打ち合わせをしたり、前日に「明日大丈夫でしょうか」と確認をしたり、こちらで必要な準備を聞いたりとか全部していましたよ。

◆そういった準備はシフトの業務時間外にしていましたか?

それは残業せずにできていました。そういうのは、言えばなんとか時間が取れるので。例えば僕が「ちょっと電話させてください。業務内にごめんなさい」と周りに声をかけておけば誰も何も言わなかったですね。ボランティアさんに電話をするのも、遅い時間ではつながらなかったりするので、だからこそ業務時間内にしないといけない、ということもあります。ボランティアさんのほうから電話がかかることもありますし、そうすると委員長の僕が呼ばれますし、そこでのやりとりをみんなに申し送りして。けっこう大変でしたね。

◆夜勤で残ることが多くてなかなか帰れないというお話がありました。他のシフトで残業はどれくらいありましたか?

遅出はあまりなかったです。遅出は基本的に夜勤がいるので定時で上がれることが多くて、早出のほうは、ケアプランっていうのがありまして。作成のための表に〇を付けていく作業があるんですね。それを、日勤がいないときは早出の人がすることになっていて、それで結構時間が取られました。それでも遅くて1時間くらいでしたね。

夜勤だったら残した記録とか事故があれば報告書を書いたりとか、カルテの整理とかしていたら遅くなる。

◆じゃあ、一番残業をしていたのは夜勤明けということになりますか。

そうですね、夜勤明け。夜勤の仕事が定時でも終わっていなかったら、みんなで「代ろうか」とか声をかけあって、なるべく帰れるようにはしていましたね。

もう一個大変だったことは、お風呂の準備が大変でした。次の日に入浴する人の準備を全部セットするんですよ。シフトで決まっていたわけではなくて、手が空いた人がすることになっていたんですけど。着替えとおむつとお風呂場に持って行っておくんです。衣類の名前間違いとか、ショートの人の持ち物を間違えたりとか、おむつも人それぞれサイズが違いますし、風呂上がりの化粧品とか、こだわりのシャンプーとか、気を付けるべきことがたくさんあって大変でした。洗濯物を施設でやるのか、家族でやるのかも個別に異なりました。

◆衣類の管理は常勤の人が中心にやっていたのでしょうか?

そうですね。

◆洗濯物や衣類の管理って、事業所によってはそれだけのパートさんみたいな人もいるようですが…

昔はいたんですけど、その人が辞めてからはみんなで。掃除の人もいますけど、いつもではないので、それも手分けしてやっていましたね。

乾いた洗濯物を利用者さんの箪笥の上に投げて置く人もいるんですよ。既定の場所に戻さないと、利用者さんがどこかにやってしまったりするんですよね。なので、利用者ごとに他居室の箪笥に戻すのか、施設で預かるのかなども個別に決まっていました。

◆新人さんが入ってくる、ということもたくさんあったと思います。定着した人、しなかった人、いると思いますが、どちらのほうが多かったと感じますか?

定着した人の方が少ないですね。僕のように長く続ける人の方が珍しいと思います。だいたい3年くらいでみんな辞めますね。

◆みなさんお仕事の忙しさから辞めてしまうのでしょうか?

そうですね、あとは給与のことや、仕事で自分の思いが伝わらなくて止めた人もいたし…一日で辞める人もいたし(笑)

◆一日の人もいましたか(笑)

おむつ交換を見て、その日のうちに「できない」と思ったみたいで…シーツ交換とか雑用ばかりをさせられて辞めた人もいました。

◆逆にヤマダさんよりも長くお勤めの方というのはいましたか?

いましたよ。女性の方でした。でも法人の中で定期的に異動をしていて、ひとつの現場で、ということではなかったですね。

◆ヤマダさんは、現在はその老健から離れてしまいましたが、16年の間、なぜそれだけ続けられたのでしょう?

老健にいたドクターのおかげですね、僕がその…いじめられたこともあったんですよ。介護職員のあいだで。きつく言われたりとか。そんなことで先生が相談に乗ってくれたのが続けられた理由かもしれません。

◆老健なのでもちろんドクターがいらっしゃって、その先生は他の職員さんからも慕われてましたか?

人間関係なので、仲のいい人も悪い人もいましたね。人それぞれですね。

僕は職場の中で言えばどちらかというとEPAの子と仲が良かったです。一緒にバドミントンしたりとか、ごはん食べに行ったりとか。よく気にかけていました。あんまり指導はしていなかったんですけど。

◆EPAの方の仕事の悩みなど聞いたり?

仕事というか、生活の悩みを聞くことが多かったですね。仕送りが難しいとか携帯代が高いとか、給与面が厳しくて、とか、断食の時期の過ごし方とか。いろいろ話をしました。

◆すみません、私EPAの方と一緒に働いたことがなくて、実際に一人の職員として、排泄介助とか食事介助をやってもらうんでしょうか?

そうですね。まあ、慣れたら。1年目は指導者に付いて回るんですけど、1年経って上の人の許可が出たら早出や遅出をしたりとか。1~4年生までいて、4年目にはもう一人前で、3年目まではまだ任せきれない感じでした。毎日主任と話して、レポート書いて。僕のいた老健では辞める4、5年前からそんな形で受け入れを始めていましたね。

◆日本人の、未経験の新人さんが現場に入ってくるのを受け入れるのと、EPAの方が入ってくるのを受け入れるのと、大変さは比べてみてどうでしょうか?

EPAの人のほうがやることが丁寧な印象でした。むこうで看護師の資格を持ってる人とかもいたので。みんな事前に何ヵ月か研修も受けてきていますし、まったく未経験の日本人の新人さんよりかは戦力になるかなと。ただ利用者とのコミュニケーションに関しては難しいので僕らが間に入らないと分からないことが多かったです。そういう面ではサポートが必要でした。

◆職員同士のやりとりでは問題なかったですか?

はい、問題なかったと思います。

◆さきほど、ヤマダさんの中に利用者さんのデータベースが蓄積されて、新規の人でも情報がすんなり覚えられるようになったというお話がありました。新規の利用者に限らず、日々の勤務を開始するときにも申し送りなどでの情報把握も大切だと思います。お忙しい中で、どのように情報を取っていましたか?定時よりも早めに出勤することも多かったのでしょうか?

業務の流れにもよるんですけど、だいたい30分、20分くらいは早めに出勤して、記録を見たりしていました。リーダー業務だったらもう少し早めに来てやらなきゃいけないことを先にやっておこうとかもありましたけど。

◆他の方々もみなさんそんな感じでしたか?

そうですね、ギリギリに出勤する人は一人か二人くらい。

◆それだけ時間を先に取っておかないとスムーズに回らないと。

はい、連休とかあったら特に分からないので。二日も休んだらパニックです(笑)

◆ちなみに記録は紙でしたか?パソコンでしたか?

紙でした。

◆申し送りノートのようなものがあった?

そうですね、申し送りノート。口頭での申し送りも長いときは1時間以上かかりますね。そこで聞いたことをさらにメモして他の人に申し送らないといけないんですよ。申し送りけっこう大事ですね。

◆申し送りは、苦手意識はありますか?

いや、そこまでないですね。食事介助に比べたら。申し送り事項をまとめると言っても夜勤の時だったら夜勤中のことをだーっと書いておいて、注意しないといけないことを重点的に申し送ればいいだけじゃないですか。急変があったとかは別にして、普通にまとめるだけだったらなんとか。

◆申し送りを聞く立場ももちろんあったと思うのですが、ヤマダさんから見て、申し送りの上手い人下手な人はいましたか?

いましたね。申し送りのやり方もけっこう人によって違うんですよ。利用者の情報をあいうえお順で申し送る人もいれば、部屋番号順に言う人もいるし。下手な人は申し送り事項を話しきる前に他職種に話を振ってしまって効率が悪くなったり、同じ人について2回しゃべっちゃったり。上手な人は言葉遣いがゆっくり丁寧で、簡潔にまとめてあって。さらに口で説明が抜けてはいけないからって、終わってからメモもまで用意している人がいましたね。そういうのはなかなか真似できないです。

◆どんな職種の人でもいいのですが、この人に憧れるなあっていう出会いはありましたか?

ありましたねえ。二人、憧れた人がいて、一人は母親くらい年の離れた人で。業務のことや、段取りよくすることを優しく教えてくれて…親みたいな。こうしたらここはうまくいくよとか教えてくれて、自分でも真似してみようと思えて。とりあえず真似から始めてみて、真似したことを続けていたら、みんなから「どこで教えてもらったの?それ」とか聞かれたりして。まあ、その人は結局辞めちゃったんですけど…。

もう一人は男性で、お父さんみたいな人(笑)その人も段取りがいいんですよ。シフトに入った瞬間からもう。他の老健で経験があったらしくて、手際がよくてみんなからも憧れられるような人で。入ってから1、2ヶ月で夜勤を独り立ちしていたと思います。何をしても早いんですよ。そういう人も見てきて、この人すごいなあって思っていたんですけど、給与が低いことが理由で辞めちゃったんです。子供がいるし養えないから…って。

◆今はヤマダさんも介護のお仕事からは離れているんですよね。

もう一回、違う職場で介護をしようとは思っているんです。できたら新しい施設でオープニングスタッフとして働いてみたいなと思っています。

◆介護から離れてみて、介護以外の仕事をしてみようと思うことはありましたか?

全くないですね。調理や送迎はできないので、特養、老健を中心に考えてます。

◆それは以前の職場からは離れてしまったけれども、介護の仕事そのものは嫌ではなかったということでしょうか。

そうですね。ただ、人間関係に恵まれるようにとは思ってます。

◆これだけ長きにわたって続けてこられたものですし、また介護の仕事で検討されていると聞けてなんだか嬉しくなりました。いい職場に出会えますように。

今回のインタビューはここまでです。ヤマダさんの経験の蓄積がそのままたくさんの言葉となって、お裾分けをしていただいたようなインタビューでした。