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訪問介護事業所を経営する 助け船 さん

今回のお話を伺ったのは、助け船さん(仮名)です。ご自身で訪問介護事業所を経営していらっしゃいます。ただ、経営管理のお仕事ばかりではなく、プレーヤーとして走り回ることもしばしばだとかどんな視点で、訪問介護に従事していらっしゃるのか、熱を込めてお話しくださいました。
※インタビューに応じてくださった方に関する個人情報保護の観点から、お名前は仮名とし、職場に関する役職名その他委員会等の名称を実際の名称から一般的な名称に変更しています。具体的なエピソードについても、趣旨を損なわない範囲で編集をしています。

―介護に携わるきっかけからお聞かせいただけますか?

 もともと飲食店の雇われ店長やったんですけど、数字重視の仕事ばかりで「売り上げが、人件費が、生産性が」っていう話を毎日、電卓持ち歩きながらするみたいなことにどうしてもなってしまって。面白くなさというか、嫌気というか、諸々思うところがありました。飲食店なので、僕がそんなことをしていても厨房からホール側を見れば、接客してるスタッフが楽しそうにしゃべっているのを見ると、あっち側のほうがいいよねっていう気持ちが強くなって。ただまあ、飲食を続けている限り、管理職業までいってしまうと、同じ雇われ方同じ給与のままでただ仕事だけが接客のみになるなんていうことはありえないことじゃないですか。責任だけを下ろすということはできないので。
 なので、全く違う業界を考えてみようかなってなったときに、求人を見かけて行ってみたのが介護だったんです。そこで勤めた先の薦めもあって、重度訪問介護の資格をまずは取りました。
介護を始めてみて感じたのは、きっとこれはもう、かなり体系的に勉強しないとたぶんやっていけないなと。なにも根拠のない状態で介護を提供し続けるのは怖いなって思ったんですよ。例えばそれが、寝る前の薬を飲むときにお酒で、という方がいて「それやめとけよ」って言っちゃうんですけど、そこで倫理問題も発生するわけです。本来好ましくない薬の飲ませ方をしていいのかとか、それをじゃあさせないという選択を僕がしていいのか、という。これはすごく難しくて、重度訪問介護やったことある人って最初にこのあたりでつまずくと思うんですけど、僕もまさにそうで。「これって断るの簡単やけど、俺が断ったらこの人一生これできひんの?」っていうのを繰り返しているうちに、これやっぱり勉強しないと思ったんです。
 最初のうちはバイトみたいな形で飲食を続けながら重度訪問やってたんですけど、そこから飲食をやめて、昼に介護の仕事をしながら夜間の介護福祉士の学校に行くことにしました。
 無事卒業もできて、介護福祉士も取れてよかったんですけど、ここからちょっと特殊な経歴というか。訪問の求人に応募したら、今までの経歴があってしまうものだから、いきなり管理者としての採用やったんですよ。資格も持ってるし「管理業の経験あるんでしょ」ってなっちゃって。

―飲食ではあるけれども。

 そうそう。マネジメント経験がある人で、介護においても3年以上経歴があって、介護福祉士まで持ってるということだったら「責任職でお願いします」って。だから僕、実はヘルパー2級を持ってなくて。重度訪問介護で3年やって、いきなり介護福祉士取って、いきなり管理者になっちゃって。登録ヘルパーからいきなり管理者で、ヘルパー常勤とかサ責とばしちゃってるんです。普通の流れでいうと常勤ヘルパーさんをずっとやって、途中サ責になって…っていうのが一般的やと思うんですけど。

―異色ですね。すごい。

 ただ、その法人内でいろいろと問題があることがわかって、早々に辞めまして。そのあとに移ったところもいくつかあるんですけど、いろいろとあって(個人情報に配慮した編集の都合上割愛しておりますが、本当にいろいろです;吉田注)、思うところあり、いろいろなご縁と巡り合わせもちょうどよかったので自分で訪問介護立ち上げてしまうか、となって今の会社を運営しています。

―ちょっと、ビックリですね…汗

 回りに変な人が多かったので(笑)
 なかなか愉快ですよね(笑)

―ええと、助け船さんは、訪問がほぼこれまでの経歴を占めていて、一部デイのお仕事はありましたが。

 そうですね。ほぼ訪問ばっかりで13年くらいですね。施設はやってないです。

―訪問は障害系のものと介護保険と両方で。

 はい。だいたい比率も半々くらいです。その時々で比率は変動しますけど。自分で立ち上げてやると介護保険と障害と、もっと言ったら児童もあるんですけど線引きはないですね。
例えば精神障害者の手帳を持ってる方で、ある疾病を機に身体障害者手帳の申請と、介護保険の見なし2号で要介護認定申請をするようにすすめた事例がありました。
難病だけの受給をしている子供がいて、子供の相談支援のプランをつくってもらおうと思ったら児童福祉法が絡んできますし。
 明確に「高齢・85才・認知症」っていうんやったらそれはもう介護保険なんでしょうけど。75歳越えてる方でも、僕は必要やと思って本人に話をして身体障害の手帳を取ってもらって、作業所に通うことになった人もいました。デイじゃなくて。こうなると障害と介護保険の境目なんてまったくないと思います。個人因子の前には制度の壁なんていうのは屁の突っ張りにもならないんです。我々支援者はたぶんそれを壁と思ってはいけなくて、越えていかないと支援できない。

―制度を自在に取り扱えないと。
 制度が分からないっていうのは素人の話で、僕たちは当たり前に扱えないと話にならない。これは訪問介護の事業所として地域に暮らす人たちを支えているとものすごく思うところです。知っていること前提になっちゃうんですよね。

―ちょっとご経歴から外れてしまうのですが、例えばただただ訪問介護というものに従事しているだけでは、制度横断的な取り扱いって必ずしも身に付けられないのではないかと思うんです。なんというか、来た介護の依頼を受けるだけじゃなくて自分達から提案していくようなことをしないと…

 ええと、ここが「介護の定義ってなんだろう」ということと関わってくると思うんですよ。僕が考える介護の定義について言うと、身体介助とか直接的なことだけじゃなくて、生活全般のことを考えるのも含めて介護やと思っています。
 僕は訪問をやっているので「自宅で暮らす」こと以外に選択肢はないんですよね。じゃあ自宅に住んでいられるようにはどうしたらいいか、それを本人の責任で行えるようにするのが介護やと思うんです。こっちの責任で済ませたらダメなんです。あくまで本人が最後に自分の命ひとつで責任とれる範囲で考えることが必要で。
 そうなったときに、例えば本人だけじゃなくて、本人が守らなあかん命があるんやったらそれまで含めての話で。シングルマザーの障害者が、2歳の子供を育ててるみたいなこともあるわけです。そうなると子供のことまで考えなければなないんです。育児は障害の制度上、介護の中に入っているので。障害者の子の沐浴とか、母親が病気になったときの子の送迎とか。これはもう制度上やってよいことなんですよね。そうなると家族まで含めてワンセットで暮らせるかどうかっていうことまで考えていかない。そんな時に「介護保険が~」って介護保険から出られない人っていうのでは困ってしまう。その人の支援を考える人がそうではプロ失格だと思うんですよ。
 もちろん、現場のヘルパーさんにこんなことを求めはしないんですけど。一人のヘルパーとしての関わりであれば、例えば利用者さんの笑顔が見たいでもいいんです。お互い楽しいのが一番やし、もちろん仕事やからお金もらった分はちゃんと仕事はしてほしいしんですけど。でもそこができてたら、あとはお互い仲良くやっててくれたらそれで。僕自身もそんな関わりが嫌いじゃなくてむしろ好きやし。
ただ、この人の生活どうしましょうっていう担当者会議をするときに顔を付き合わしている面々がそんなことを言っていたらそれは反省しないといけない。僕は今まで何度も反省してきましたというのが正直なところで(笑)
 辛い目にも恥ずかしい目にも、利用者に迷惑をかけて情けない目にもあってきました。結局、最後の最後に支援チームとしての答えを誤ると家に暮らせないっていうことになってしまう場面がやってくるんです。
もちろん、在宅無理かもやばい命だけはどうにか、施設入所や入院でどうにかってなることはあるので、そこはいいと思うんですよ。でもそこまでいってない段階で「うん、じゃあそろそろ施設で」っていう選択をするんやったら、訪問やるなっていう話やと思うんです。はなから諦めるんやったら中途半端にしなかったらいいのに、って。在宅でやるって決めたからには最期まで家にいるっていう前提で考えて。そうしたらいろんな制度使うことになっちゃう。
 僕は生活全般を考えないならそれは部分的な介助であって、「介護」をすべて説明したものではないのかなと。ただ、言葉の定義の話でまだたぶんこれ社会的にコンセンサスとれてないから、それぞれ違ってていいと思うんですけど。僕は、在宅生活の継続に責任持ちますと言って契約をして、利用者さんの生活を預かっているので。これができなくなって許されるのってご本人の病気が進行した時だけやと思うんですよ。それも常時医療が必要な状態になってはじめて介護の話じゃなくなった医療の話だよねって言えると思うんですよ。医療がそこまで必要でないうちは結局のところ、マネジメントができていない僕たちが悪いと思います。それは僕たちが頑張らないといけない。

―…いや、なんだか、すごいお話を聞かせていただいていますね…

 いやいや、とんでもないです(笑)
 何度も言いますけど、介護の定義は皆さん考え方に違いがあってしかるべきやし、登録ヘルパーさんや施設のパートさんがやってることが介護じゃないのかって言ったら決してそんなことはなくて。ただ、それが介護のすべてではなくて。すべてではないけども介護の一部であることは間違いないことで。ケアマネがやってることは介護じゃないのかって言ったらきっと介護なんですよね。他にも、その人に直接やってなくても、代わりに買い物行って好みのもの買ってくるとか、本人の目の前で砂糖の量まで聞きながら本人の好みのもの作るとか、本人に触ってもないけど毎週火曜日に本人にかわってゴミ出してるとか。全部引っくるめて介護やと思います。だから、マネジメントを介護から外しているっていうのは、介護歴が浅いか、視点がまだ広がりきってない人なんかなって思うし、逆に「あの人なにしてんねやろ?」って僕が思うとき、僕の視点が狭いだけでそれも介護行為かもしれないし。難しいところですよね。

―ええと、ご経歴からお話うかがって、とても勉強になるお話まで広がりましたが、そんな助け船さんが、普段どんな仕事をしているのか、もちろん日々変化はすると思うんですが、例えばある一日はこんなことがあった、など教えていただけますか?

 はい。持ってる責任範囲が広いので必然的に多岐にわたってしまって一概には言えないんですけど、普通のヘルパーさんのように朝から晩まで訪問回る日もありますよ。起床介助とか、掃除、昼御飯作りとか…午前中で僕が一番多いなと思うのは通院かもしれないですね。在宅の維持に服薬っていうのはだいたい皆さん欠かせないので。訪問ばかりの日の午前中は、半分くらいが通院介助かも知れないです。昼から掃除とか調理とか、ご自分で入浴できない方は、昼過ぎ、夕方とかにお風呂はいる方が多くて。どうしても18時以降のサービスは単位数が上がっちゃうので、夜にお風呂入りたくても、16時台17時台に入る人が多いですね。ここが介護の制度のよくないところではあるんですけど。ケアマネさんもそう組むし、それに合わせたら15時から17時とかで調理・買い物・風呂みたいになる方は結構います。

―多いと一日に何件くらい回りますか?

 重度訪問とかだと一日で一件とかになっちゃうんですけど、介護保険ばかりで1時間とかで刻んでいくと5、6件になることもあります。ただそういうパターンというのは、事業所としても収益性が悪いというのもありますし、利用者にとっても一時間だけ刻んで、時間も選べないっていうので意外と望んでいないことが多くて。じゃあ誰が望んでいるかといえば家族さんがそうしてやってくれとお年寄りに対して思っていることが多いんですけど。ただ、そういうのは必要なサービスの内容に変換するような働きかけをケアマネや利用者にして、できるだけそういう組み方にはならないようにしてます。管理者だから言えることですが。

―逆に訪問があまりない日はどんなことをしていますか?

 担当者会議や、ヘルパーから報告が上がってきたことをケアマネとか相談支援専門員の方に電話しているのが比率としてはかなり。多いときでは一日の3分の1くらい電話していこともあります。利用者さんから電話が来ても、その内容をプランナー(ケアマネ、相談支援専門員)に伝えないといけないので。「そこは直接やり取りしてほしいな」って思いつつ、クッションになってやっていることも多いです。
それ以外のところでいうと、訪問介護計画書とか重度訪問介護計画書とかの見直し更新、月末月初は請求とかモニタリングを書かないといいけなくて時間とられますね。月の途中は連絡調整が多くなります。それはケアマネさんが月末月初に給付管理をしていて、ケアマネさんが利用者さん宅に行くのが月の真ん中なんですよね。そうなると月の真ん中で利用者さんがなんか言い出すことが多くなって、必然的に連絡をすることが我々でも多くなるんです。
 新規の相談とかは常時あるんですけど、だいたい月の頭からの利用開始を目指すことが多いので、月の半ばから後半にかけてそんな話が来やすいですね。サ責としてそんなものなんですけど、僕は管理者なので、求人広告の営業の対応とかしないといけなくて、これが意外と多いです。必要に応じて地域の連絡会に出たり、行政の集団指導にでないといけないとか。さらに会社の代表でもあるので、新しい事業の指定の申請書を作るとか。

―お忙しいですね…あの、お話が戻ってしまうのですが、制度を様々に使って生活の提案をどんどんしているなかで、変な話ですが、例えばケアマネさんはそういった幅広い制度をみんなご存じなんでしょうか?

 僕もケアマネジャーの資格を持っていますが、研修では障害の話って全く出ません。例えば重度訪問で二肢以上の麻痺がある人で生活保護を受けていたら他人介護料が出るっていうのはケアマネ研修では習いません。でも、知らないと利用者さんもらえないんですよね。なので知ってないとまずいんですけど、習う機会がないので。もちろん知ってる人もいます。
 まれに担当者会議で行政の方が同席したときなんかに「なんでこういう制度あるのを教えてくれないのか」って聞くと、「いやいやケアマネジャーなんやから障害のことも知っててあったり前でしょ」って言われるんですよね。でもケアマネにとったらそんなかわいそうな話はなくて。どこのカリキュラムにもないんですよね。
 そうなると、訪問の事業所って障害も介護保険も両方訪問でやってることが強みで。例えばデイサービスやってるところで、通所介護やってるけど生活介護も併用してやってるとこなんてあんまりないじゃないですか。訪問やってるところが一番制度の狭間にいて、全部見てるはずで、おまけに利用者の横でそれを見てるはずなんです。利用者を一番見ていて、制度も一番分かっていないと僕は駄目やと思ってるんです。
 だから利用者の状態こうなったよっていうときに、一番最初に騒ぎだすのは僕たちでないとダメと思ってるし、騒いでも、こうした方がいいと思うよっていう提案ができない事業所も弱いと思う。提案までがワンセットで、そこから先はケアマネが家族と調整したり、他の事業所との関係を考えたりとかをマネジメントしてもらえばいい。障害の制度使えるよ、児童福祉法のこんな制度使えるよ、地域生活支援事業の移動支援使えるよとか、そういう話を僕たちが持ち出さないと、その制度を持ち出す人は支援チームにいなくなるので。僕たちはそれを叫ばないといけない立場やと思うんです。それを使うか使わないかはケアマネが考えたらいいこと。
 本人にとって良いのが前提なんですけど、本人はだいたい制度が複合的になってくると決定力がないか理解力がないか、みたいになってしまう。少なくともケアマネも知らない制度を利用者が理解して決定していくというのは大変難しいので。そうなると実質的にケアマネが理解して家族に説明したときに説得できるかどうかにかかってくるんですよね。それができるケアマネさんは強いし、もともと制度を知ってたら最強。まったく分かってないってなったらだいぶ辛いものがあって。そういうときに担ぎ出されて代わりに説明することもあるんですけど(笑)

―助け船さんの実感として、ケアマネさん、相談支援専門員さんのなかで、この人はあらゆる制度を熟知していてすごいと感じる人は何%くらいいますか?

 ケアマネさんだとたぶん、1%とか…でも、障害畑の人が介護保険も理解している、という人はそれよりも圧倒的に多いですね。理由はすごい単純で、障害の相談支援やってたら、利用者が65歳になるんですよ。でも突然介護保険の利用者が、認知症が消えて障害だけが残るっていうのはあり得ないんですよね。だからケアマネさんに障害の制度について聞かれることはすごい多いです。相談支援専門員さんに介護保険のことを聞かれることはかなり少ないですね。ケアマネさんが障害のことを知らないのは状況的に仕方がないんです。
 …僕が考える訪問のあり方って、プランナーを守ることが最優先なんですよ。どういうことかというと、例えば、誰が行っても「嫌だ」ってなってしまう状態の利用者さんていますよね。病気や障害から。それでもどうしても、注意すべきところを注意する役目を負うべきなのは訪問の責任者やと思います。それがケアマネであってはいけないのは、ケアマネが蹴られるということを避けないといけない。プランナーをコロコロ変えるのを避けないと、一貫性のある支援ができない。だから、蹴られ役になって壁になるのは訪問でないとダメって思ってて。
 自分達の事業所が最悪切られても、それは社会資源やから構わなくて、障害の原因から来る生活上の困難みたいなのが、どうやって取り除けるかを考えたときに、いくつか捨て石になる事業所が必要になる場面ていうのは少なからずあります。知的障害の影響から何年も入浴していないという人が現れたときに、とりあえず目先の一回風呂入れなあかんという話は絶対持ち上がるんですけど、一回入れたからって継続して入れるかっていうとまったく別問題で。でも僕たちは、目先の一回入れたらもう、事業所として切られてもいいからとりあえず一回入れようっていう話になるんですよ。何年も風呂に入ってなくて、何メートル先でも臭ってるぞっていう人を前にして、本人の意向を無視してでも風呂に入れなあかんのは、行政に問い合わせてもそう返答するんですよ。小さい擦り傷でも感染症になったりするので。そうなったときに、無理矢理風呂入れて、嫌われて怒られて「お前らは要らんわ」って言われるのは訪問事業所でないといけなくて、ケアマネや相談支援専門員がその立場になってはいけない。あくまでも支援チームとして残していかないといけないのはプランナー。そういうわけでチームの継続のために利用者に怒られに行くのも僕の普段の仕事に入ってます。むちゃくそ怒られますよ(笑)それで全然構わないと思います。そういう風な立ち回りを見て評価してくれたらその一件断られたってそれ以降、ケアマネさんとか依頼くれますし。評価してもらえないと切られ損なんですけど(笑)
 ただ、生活が回りさえしたら、僕らは社会資源なんで、僕らが固執して入り続けるっていうのも必要ない部分もあって。ただ、原則として長く関わるっていうのは大事やと思っているので、基本的には関われるようにするんですけど、矛先がケアマネとかプランナーになってしまうときというのは例外でいいかなと思います。

―生活が安定するという意味では、訪問であろうが、どんな形態のサービスであろうが長く継続したほうが安定はするけれども、どこを一番長く安定させるのが優先かといえば、プランナー職種だと。

 そうですね。頭を残さないと別人になってしまうので。支援チームを一人の人だと考えたときに、どう考えても頭は絶対プランナーであって、僕らは手足なので。

―そのような感覚・視点というのは誰かに教わったりするものですか?

 嫌でもたくさんの方と関わっているなかで、地域のなかにはどこかで聞いたことのある「伝説的な難しい利用者さん」ってどうしてもいるんですよね。「ああ、あの人な!」みたいな。そういう人のところ入ったら切られるのは自分らのところじゃなくても、よそのところがバンバン切られてるんですよね。そのうちに事業所がなくなるんですよ。大きな都市のなかでさえもなくなるんですよ。地域によっては10個とか20個しか事業所がない地域もあるし、島に住んでる人やったら2、3個しかないこともあって。そうなると社会資源の数との戦いになるんです。そういうのを考えたときに、最悪対応できる訪問の事業所が無くなっても、たとえば訪問看護に自費でご飯作ってもらうというプランを考えることだってあり得るんです。でもたとえばケアマネが3人蹴られたらその人のケアプラン書ける人がいなくなっちゃう。プランナー不足ってヘルパー不足よりさらに深刻なんで。だから僕はプランナーを最後に残さないといけない。それまでの間に切られるのは訪問が先であるべきやし、他に数が多いって言ったらデイサービスが比較的多いですし、訪問看護だってまだ多い方やけど、訪問リハビリは少ないとかね。少ないところほどできるだけ残さないといけなくて。あとはいい影響を残せているほうほど残さないといけないんですけど、間違いなくプランナー職は残さないといけないっていうのは日々感じているところです。

―本当にはじめて聞くお話、はじめて聞く視点ばかりです。助け船さんのような視点で支援を考えて実践をしている人というのは、助け船さんの事業所でどなたかいらっしゃるのでしょうか?それとも、助け船さんのもとに何人かの登録ヘルパーさんがいるのか…

 どうしても、僕がなにかの案件に集中して離れられない状況のときに、「今日の責任者はお前!」って言える状況を作っておかないといけなくて。どっぷり入らないとやっていけない日もありますし、そういうときに臨時的に頭にすげ替えれるのは二人ですね。

―そのお二人は、どこかでご縁があって優秀な方を引っ張ってこられたのか、それとも、助け船さんが育て上げたのか…どちらでしょうか?

 一人は会社の副代表なんです。なので、お願いしたらそれは当然というか…
 もう一人はヘルパー2級を取って1年くらいの実務経験でウチに立ち上げの頃から来てて教えてた子なので、まあ育てたっていう言い方ができるかは分からないですけど、経歴の大半を僕の事業所で一緒に過ごしてるのでそう言えるかもしれないですね。なので、一人はご縁のはなしで、一人は育てたっていう感じになるのかな。

―今までのお話の内容は、なかなか自動的に身に付くことではないと感じたんですね。ただ目の前の利用者と関わっていてとか、それなりに仕事を回すっていうだけではなかなかこうはならない。助け船さんご自身は、利用者さんとの関わりのなかで「なんとかしないと」とプライドを持って自分で勉強をしてこられたんだと思うのですが、どんな風にして勉強してこられましたか?

 要ることを要る時に調べる、本当にこれしかなかったんだろうなと。僕のなかでスタートラインとして介護福祉士持ってるとかその知識があるっていうのは前提なんです。それは、これから受験する人にとってはハードルが高いと思わせてしまうんで、普段そこまであまり言わないようにしてるんですけど、責任者としては持ってて当たり前なんです。そのうえで、「利用者の生活預かりました、はいどうしましょう」って言ったときに、利用者の生きたい生活の中身と実際に生活を回していくなかで発生する困難っていうのは、どっかの時点で必ずぶつかって。みんな聖人君子じゃないし。好き放題生きたいっていうのは語弊があるんですけど。
 たとえばすごい小さい話なんですけど…介護保険の利用者で介護保険サービスしか使ってない人で、めっちゃ韓国ドラマが好きやから、TSUTAYAに行きたいって言い出したときに、じゃあどうするっていうのを考えるんですよ。でも、介護保険で行くのって制度上「ナシ」なんですよ。「はい、どうしましょう」これが問題なんです。で、それを一生懸命考えるんですよ。本当に一生懸命。そこでたとえばこの人は肺が悪いから呼吸器の障害が取れて、万が一、身体障害の4級を取れたら移動支援の申請できるぞ、ってなったら可能性が見えてくるんですよね。こんな風に本人が望んでいることをどうやったらできるか、全力で考えるんですよ。
 「そこは制度上無理でした」っていう言い訳をしないようにする。めっちゃ考える。すると、なんか思い付く。それをがんばってやってみる。それはもちろん違法なことはダメやし、すぐ「自費で」っていうのは簡単なんですけど、自費でやるって最後の手段で。本人に金銭的な負担を強いてしまうんで。じゃあ金使わんと頭使ってできることは何かなってむっちゃくちゃがんばって考えるんですよ。そしたらなんか見つかる。それを見つけ続けて、いつもいつも、ビデオ借りに行くんどうしたらいいかなとか。
 一生にあと一回だけもう死ぬ前に一回でいいから田舎の土踏みたいって言った時に、じゃあこの人を旅行させるにはどうしたらいいかなって真剣に考えると。そういうことを繰り返して行くんですよ、ずうっと。
重度訪問で二人介助でお風呂入りたいけど、一回は行政に却下って言われた、じゃあこの人の二人介助の風呂ってどうやってっていうのをめっちゃ考えるんですよ。
 結局そういうのを考えて考えて、答えを出して「これやったらどう?」っていうのを相手の「それやったらまあそれでいいかな」って納得いくラインまで一緒に考えてやって、結局出た答えが本人の希望そのままでなくても、本人が納得したらいいし。どうしても思い付かなかったらいろんな人に相談して聞いてみますし。もちろん問題を聞いてとりあえず一旦保留でということも多いんですけど、それを頭の隅に覚えておいて、解決しようってなんかひねり出して、それをずっと覚えといたらまたどっかで使える。っていうのを繰り返すと、複数の制度が分かるようになってきます。だいたい2、3年ずっと繰り返してたらけっこうわかります。小さいことなんです。目の前の問題をとりあえずがんばって考えるっていうのを本当にずっとやるだけです。そのために法律読みこむとかはやってないです。

―なんというか、法律についてのことを1ページ目からやっていくというよりかは、今必要なことを必死になって探して。

 最近はもう、Googleが頑張ってくれるんで(笑)探すに関しては、検索でなんとかなることが多くて、結局まあ、アイデアですよね。この時この方法やったらいけたなっていうのが。
 言ってる間にAIに負ける日だって来るかもしれませんけど、ただまあ、その人の趣味嗜好に合う範囲でとかそういう制約を付け出したときに、まだまだそこは機械に遅れはとらないぞって思いますけど。やがては抜かれるでしょうけど。とりあえず答えとしては、目の前のちっちゃい問題を毎回解決するまで粘って考える、わからなくても頭の片隅に置いといてたまに考える、っていうようなことをずっとやるだけです。本当にそれだけです。

―なんだかもう、聞いていて恥ずかしくなってきました(笑)

 でも分かるんですよ。制度上無理やからってぱっと断っちゃうのは。あえてそうすることも僕もありますし。簡単な気持ちで「犬飼いたいねんけど」って言われたら、それはもう「飼えたらいいね。ハハハ」って言っちゃうんですけど、その次訪問したときにめちゃくちゃ神妙な面持ちで、認知機能も何も問題のない人が「自分にできる限りのことをするから飼うねん」って言ったときに、僕らはそれを止める権利があるのかどうか。すごい難しい話で。冒頭の「お酒で服薬」の体験から僕は始まってるので。その人がお酒で薬を飲むって言ったときに、その人の口に薬を運ぶ行為は合法ですし、その人の口にお酒を運ぶのは合法なんですけど、それを一緒にやるっていったときに、じゃあ何かあって僕が責任追求されたらどうするの?となれば、やっぱりそれはよくないことでやりたくないし。
 でも極端な話、新しい靴を買って履くのは誰でもできることで、みんなそこでガム踏んづけそうになったら、みんな「ガム踏むよ。避けて」って言っちゃうんですよね。でもそれを繰り返してたらガム踏んづけることがない人になっちゃう。たとえば施設に入所してる人があと一生で何回、雨に当たる権利があるのかな、たぶんもしかしたら一生ないんじゃないかとか。
 失敗とか人との摩擦もあっての地域生活なんで。自己責任でやるっていうのは良い思いばかりをさせてやるっていうんじゃなくて、辛い思いも悲しい思いもそこには含まれるんですよね。そのリスクがあるからこそ、うまくいったときによりいっそう嬉しいし、失敗したら悔しいわけで。ただそれが命に関わるとか大ケガするっていうときは、やっぱりがんばって止めるんですけど。
 どの範囲まで自己責任と思ってやるか。僕は「責任」に対して対応しているのは「権利」になると思うんですよ。権利を守るなら責任も負わせないといけないし。いい思いする分、痛い思いするリスクは絶対残さないといけないし。一方でそれが病気や障害によるものならば避けてやりたいし。たとえば障害児が公園で走り回る。その状況を作ってやるまでが僕らの仕事で、公園で走ってるときにコケて擦りむいたら、それはその子が権利を行使した責任として擦りむいちゃっただけで。泣くのも権利なら「ママこんな怪我しちゃったよ、辛いよ」って言うのも権利やし痛みが付きまとってくるのは仕方ない。ヘルパーにできるのは、「痛かったね、とりあえず傷口きれいに洗おうか」って水道のところまで連れていって、「はい膝洗ってね、清潔なタオルで拭こうね、絆創膏貼っておこうか」と世話をして、あとはお母さんに「元気に走り回って、ちょっところんじゃったんですよ」と、そこまで。そこで「訴えるぞ」っていうお母さんとはもう、サービスの話はできないんですよ。それは知らんがなと。
 健常者でも起こり得るリスクまでは責任持てないです。言い換えたら、健常者でも起こり得るリスクなら、そこまでリスクを落とせてたら僕らの仕事はできてたことになる。その子供を公園に連れていく前に、その子にADHDの特性があるのが分かってるのに、道路に飛び出さしてしまったら僕らの責任ですし。でも公園に連れていって楽しく遊んでて転ぶのは仕方がない。どこまでの責任をこっちで負うか。転ぶのがすべてこちらの責任やったら、結局ベンチにくくりつけとかなあかん話になっちゃうんですよ。でもそれはできないから。そこのバランスが悩ましいときがあるといえばあるかなと思います。失敗する権利はやっぱり認めるべきなんでしょうね。難しいんですけど。損する権利だってあるはずなんですよ。

―…今までお話を聞いてきた方や私も含め、特養でや老健で働いている人などが大半で。目の前の人の介助に真摯に向き合ってきたお話が多かったんです。今日はまったく違う方向からのお話でした。

 介護において感じる難しさって人によって全然違うと思うんです。夜勤してる特養のスタッフさんとかやったら、いかに回りに気を配りながら、きれいにおむつを当てるかをずっと考えて工夫している職人さんだっていると思います。目立たないところでも、ものすごい高い技術を発揮しているような。僕がそれを見たらすごいなと感じると思うんですよ。ただそれを在宅ではそこまで重視しないところもあって。でも特養のなかではその介助っていうのはすごい価値の高いものやと思うんです。夜間に何回もおむつを当てなおして時間を取られると他の人が見れなくなるっていうのが大きいロスになるし。在宅でのおむつがきれいに当たっているかどうかのちょっとした違いが、特養ではものすごい大きいということはあり得ることで。
 一度に複数の人を見る特養と、一対一の僕らでは必要なことが違うのが当然で。そういう意味で職種が違うんですよね。介護職ってひとくくりに言ったらたぶんダメなんですよ。特養の人って入浴でも30人とかを4人とか5人でガンガン風呂入れていかなあかん。そこで安全でないといけないし、全員を動き把握してないといけないし、ってなったときにあの職員の人たちの動きすごいですよ。在宅であんなん取り入れたらどんなことなんねやろって思うけど、ただ取り入れたって在宅で一度に入れるのは一人なんで、在宅ではそこまでいらないっていうだけで。あればそこまでの技術欲しいんですけど、それを身につけている暇があったら、全然違うところのほうが延ばししろがあるっていうか。
 たぶん施設と在宅は一緒に語っても仕方ないし、別枠で考えないといけない。もちろん施設の人へのリスペクトがあるんですけど、職種が違うと思ってるんで、それ以上はなにもないんですよね。僕は在宅の人やから、施設に利用者を送らないことを前提に支援しないといけない。むしろそこに行かせたら自分の負けくらいに思ってやっています。ただあかんところやから行かせたくない、とかじゃなくてそれが僕の仕事なんです。もともと行かない前提で在宅の利用者は契約をしているので。
 だからたぶん難しさって働く場所によって感じてるものが全然違うと思うんですよ。ものすごい上手い入浴介助を目の当たりしてる新米の施設の担当者は、どうやったらあんな先輩見たいにできんねやろ、あんな職人芸どうやったら身に付くんやろうっていうことで悩んでるやろうし、夜勤の回し方についてとかも、2時から3時いつも荒れるな、原因を探さななあとか、たぶん介助の話で突き詰めて悩んでると思うんですよ。
一方在宅の僕らはその時間て寝てるんで。夜勤で入るってめったにないことやし。そこで検討して考えたときに在宅の難しさって介助もそうなんですけど、もっと他のところのほうが多いと思います。
 介護保険に関わらず障害併用とかいろんなことがあって、それを知ってる前提で状況の整理をしながらやっていかなあかんし、使う制度が増えてくると全くの別業種とタッグを組まないとしかたないっていうこともけっこう多くて。ひとつの施設でやってるよりも連携は遥かに取りにくいし、利用者も施設にいるとき以上に驚くほど自由な行動を取ってくるので(笑)
 急に行方が分からなくなったと思ったら近所のお酒売ってる販売機の前で酔いつぶれてるとかも全然ありますし。例えばそういうのが起こったときに誰を呼んでどういう風に考えるのっていうのは難しいですね。
 すぐ答えが出て一致できるならいいんですけど、それぞれの価値観があるから、これしかないやろって思うのが出ても反対意見だって全然出るんですよね。ずっとまとまりながら行くってけっこう無理で。突き詰めていくと最後まで意見が割れたままで行くこともけっこうあるんですよ。
 利用者がたとえば認知症で、息子さんが知的障害があるなんていうの、けっこう多いんですけど、そんなときに、利用者の持病にたいして治療の決定権誰にあるのって言ったらわからないじゃないですか。じゃあ息子さんが責任持って決めたとしたら、支援チームは知的障害者に舵取りさせたのか?ってなってしまうんですね。一方医者は本人の言うように治療したいけど、認知症あるのに本人の同意だけでやったんか?って言われたくないし。息子に付いている相談支援専門員も、自分が決めたって言われるのは困るし、ヘルパーが介助で通院に行ってても、ヘルパーとしての意見は言えても決定権はない。じゃあ誰が決めるのと言っても誰にも決定権がない場面だってあって。意見はみんな割れてる、さあどうしようみたいな、生活に対する倫理問題がよく起こるんです。
 それの処理の仕方とかでは本当によく悩みます。僕、在宅の難しさってつまるところ、そういう本人が責任持ちきれないときの「誰がどうする」っていうのを考えるのが一番難しいかなと。
 介護のむずかしさがテーマだったので、事前に僕が考えてたのは、じゃあこうしたらいいよって言ったときに、その言葉に責任が持てないじゃないですか。「治療方針を僕が決めていいんですか」と聞けば「それはダメですよ」って誰もが答えます。「じゃあ『それはダメでしょ』って言ったあなたに決めてくださいよ」と言ったら「いや決めれないですよ」ってみんな言っちゃうんですよ。でもたらい回しゲームにだけは絶対してはいけない。さあどうしようっていう時が一番悩みます。そういうときって意外と多くて年に何回か起こります。

―それはその都度回答の仕方が違って…?

 もう場面ごとに。基本的には担当者会議ですね。みんなで稟議揉みまくりで。

―逆にいうと、集合体で決定をすることで分散させるというか。

 結局本人を中心とした集合体で決めて、「全部の情報を聞いた本人がそれを最終的に採択しました」と言ってしまうしかない。そう言えるように、関係職種みんなすべての説明もしつくして、全部出した上で本人に1か2か3くらいの選択肢から選んでもらうしかない。どれを選んだとしても、突き詰めたら悪いわけじゃないっていうところまで選択肢を厳選した上でやってもらう。そこまで行くには本人ががんばって聞いて理解しようとするっていうのも絶対要りますし、本人が投げたらもう決めれないになるんで。また時間ばかりが経過してしまうと、なにもしなかったことで病気が進むこともあるし。最悪なのは親が認知症かつ癌でとかなったとき。治療するのかどうかを知的障害のある息子に決めさせなあかんとかね。息子はそこまで理解が難しいから決めれません。でも決めないということは、治療しないっていうことになっちゃうんですよ。「決めない」とか「言わない」は「選ばなかった」っていう選択になっちゃうよっていうのを理解力に支障のある人に分かってもらうのはめちゃくちゃ時間かかるし難しいです。

―意思決定の重みというか、とても難しいですね…

 僕らも完全にお手上げで、社協さんとかに相談して在宅生活を諦めたりすることもあります。ただそこを安易に匙を投げずに悩み続けるのが僕らの仕事でもあって。でも、いつまでも意地を張り続けるわけにも行かないので。

―もちろん在宅を諦めて生活の場を移した先で、イコール絶望かというとそうではないですしね。

 もちろん、施設や病院が悪いところなわけではなくて。一生懸命丁寧にやってくれていることは後から聞いたりもしていて。ただ職責や領分として、そこでおめおめと「在宅できない」って宣言してしまうのは、在宅屋としての恥ですので。意地だけ張って本人の生活を壊してもダメなんで、どこまでやれるかっていうのは本当に難しいですけど。

―ありがとうございます。なんというか、このかっこよさを伝えられるようにがんばります…!

 いやいや(笑)本当にかっこよかったら、今までの人全員救えてますって言えると思いますよ。やっぱり未熟さですので。
 在宅をあきらめるだけじゃなくて、先程の話みたいに捨て石的に断られることもあれば、単純に合わなくて断られることもありますし。どの事業所さんでもあると思うんですけど。
 施設でも自分だけあの人の介助に入ったら嫌な顔されてとかあると思うんですよ。

―捨て石としての職員、みたいなことはありますね(笑)

 うちの場合、事業所としてそうなっちゃうとやっぱりこれは情けないし。そうならんようにしようとは思いますけど。まあ5~10%くらいはありえるって思ってます。相手が合う・合わないを宣言する権利があるので。それでも「うちは断られ率ゼロです」ってやっぱり言いたいですよね。言えないんですけど。契約終了の時は自立させたか看取りきったかって言いたいですけどなかなかそうも言えないので。たまに漏れは出ちゃいます。

―いや、それは仕方がないと思いますよ…って僕が言えたクチではないんですが…(笑)

 ゼロにしたいんですけどね。年間通してお断りされなかった、というのが本当になくて。

―気が付けば、だいぶお時間をいただいてしまいました。まだまだお話伺いたいですが、ひとまずこれくらいで。ありがとうございました!

今回のインタビューはここまでです。想定していた時間を大幅に超えてのインタビューとなりました。この文字数を通じて助け船さんの熱量が伝わると良いのですが…!ご協力ありがとうございました。