どこからがわがままか。

要介護者の「わがまま」について私はどう向き合おうかと考えてみました。

当人が「ああしたいこうしたい」と言うことについて、
もちろん認められることも沢山あります。
(トイレ行きたいとか、ご飯食べたいとか)

「当然の要求(これも人によってまちまちですが…)」については、いつかどこかで触れる、ということにさせていただいて「これってわがままなんじゃない?」となりそうなことについて、考えを進めてみます。

Aさんが「あそこのBさん、顔が嫌だからこの施設から追い出して!」と言うのはわがままな気がします。

たぶん、「Bさん」が「この施設にいること」の自由と、
Aさんの思いを実現する(好みでない容貌の人を見ずに暮らす)ことを比べたときに、Bさんの自由の方がより重要だと思われるからでしょう。(じゃあそれもなぜ?と問われると意外と難しい)

特養の利用者Aさんが「ここの料理はまずい。どうにかしてちょうだい。私は若い頃から料理が得意で…」と言ったとしたら、これはわがままでしょうか。
ほとんどの入居者も、職員も「ここの料理はまずいよね…」と思っていたとしたら、わがままではなさそうです。逆に、だれがどう見たって(食べたって)「こんなにおいしい料理を毎日食べられるなんて!」という食事が提供されているような施設での一言だったとしたら、わがままに映るのではないでしょうか。

特養で寝たきりのAさんが握りしめたナースコールを10分おきに押して「なんだかちょっと背中が痒いんじゃ…」(嘘ではない、とします)というのはわがままでしょうか。
わがままではないように思う方が多いかと思いますが、多忙な介護現場では「この忙しいのに…!ちょっとかゆいくらい我慢してよ!」と思ってしまうかもしれません。

3つの例を考えてみましたが、ある要望が「わがまま」に見えるのには、
①その要望を叶えたら、誰かを害してしまう
②その要望が叶わないのは嫌だよね、と共感できる人が少ない
③その要望を叶えることが、現実的に困難である
というようなことが関わってきそうです。

おそらく、他にもさまざまな要素が絡み合って、「わがまま」は判断されているのでしょう。
ただ、要介護者の「ああしたいこうしたい」という要望だけを、前後の文脈から切り取ったら、「わがままだ!」と切って捨てることのできるものはだいぶん少なくなるのではないでしょうか。

その要介護者が、
その要望を叶えることについて、
誰かを害することをや実現の難しさを理解するのが困難な状態だったら。
その要望を叶えることについて、
要介護状態になる前は、自力でひっそりと叶えていたとしたら。

結局、介護士としての私が要介護者の要望に向き合うに当たって、わがままかどうかをジャッジするよりも、周りの人やその他の環境との折り合いで「できるかできないか」「できるよう工夫することに時間が割けるか(他に優先すべきことはないか)」を考えることかなといまのところは思っています。

そもそも「要介護高齢者はわがままを一切言ってもいけないし、叶えてもいけない」なんてことはないと思うんです。

人間ふつうに暮らしてたらわがままも言うし、それがまかり通ったり我慢したりすると思うので。