ロボットに介護されたい?
このホームページを訪れてくださった方は、
もしも未来に、「ロボットに介護される」ことが可能となったら、
人間と、ロボット、どちらから介護を受けたいでしょうか。
私は、同じ質の介護ならば、ロボットに介護されたいです。
厳密に言うならば、ロボットに介護されるというよりは、
ロボットというジャンルに分類される
「自助具」を使って生活していく、
というほうが適切かもしれません。
例えば、
もしも、
もしもです。
視力が低い人のためのメガネのように、認知症の人の能力を
補助する道具が生まれたらと想像してみます。
もしもそんな世界で私が認知症になったら、
心のこもった介護士のサービスより、
その道具を使って生活していきたいです。
介護者とこころを通わせることよりも、
「会いたい人に会いたい」
「行きたいところに行きたい」
ということのほうが、まず先にあると思っています。
念のため補足しますが、人が人を支援することの良さを
否定する気持ちはありません。
こんなことを私が考える根っこについては、
以前のコラムに書きましたので、
もしよかったら、読んでみてください。
もう少し、想像を広げてみます。
いろんな人間の仕事が機械にとって代わられる、
とはよく聞きます。
カウンセリングや、医療介護福祉現場における傾聴など
についても未来に思いを馳せてみると…
ロボットがウンウンと話を聞いてくれる、
という未来が来るのでしょうか。
私は、そういうことではないような気がしています。
カウンセリングや傾聴によって得られる
「精神の安定」などの効果が、
AIによって緻密にプログラムされた
ゲームや動画コンテンツなどによって
もたらされるようになったりしたら…
じゃあ自分は
「人に聞いてもらう」のと、
「ゲームや動画に癒される」のと、
どっちがいいのか。
私は「ゲームや動画」、けっこう頼ってしまいそうです。
ゲームや動画に癒される、と聞くと、なんだか現実逃避の
ようにも思えますが、未来に限らず、優れたコンテンツが
人の心を癒し救ってきたことはこれまでにもあったでしょうし、
人と交わりたい、人に甘えたい気持ちと同じくらい、
人に頼りたくないのも人の気持ちかなとも思います。
私は現在介護士として働いていますが、
人間である私が介護をすることの意味について、
謙遜や自己卑下ではなく、
「あたたかみ」とか「人として」と
肩ひじを張りすぎずに、
利用者にとっての良きツールでありたいなと思います。